最後の保育参加

 今日小学生組みは離任式。私は仕事も休みだったので、最後の保育参加をしました。
 年長のみんなとかくれんぼ公園まで。その歩きっぷり、遊びっぷり、本当にたくましさを感じます。手作りのパチンコで遊ぶ子。パチンコを作る子。ごっこ遊びを楽しむ子。遊具で遊ぶ子。さまざまだけど、なんか友達がこまっていれば、しゅっと集ってきて、「どうしたの?」と声をかける。そんな仲間の素敵なつながりがみえて、すばらしいと思いました。
 小学校でも授業参観はあるけれど、なかなか子供たちの中に入って、活動して、子供たちの日常を見るってわけにはいかないから、家庭以外の場で、子供たちがどんな姿をしているのかを見れるのは、ある意味これで最後なのだなぁと。
 うちに帰ってきたら、離任式を終えたあー子のプリント類がおいてありました。
 その中の一つに、二分の一成人式の学級文集もありました。一ヶ月くらい前に、親から子供へのメッセージも載せたいからと、私も少し書かされた奴です。
 その中で、あー子は二分の一成人式のとき、クラスで一番最初に発表したことを書いていました。一番目に発表すると手を上げたはいいけれど、実はかなりどきどきしていて、式当日まで、ブルーになっていたこと。発表し終わって、うちに帰るまでの間に、私に「あーこの夢って、こんなんだったんだね。お母さん、知らなかったよ」と軽くいわれて済ませられそうで、さらに嫌な気持ちになっていたこと。
でも、私の最初の言葉が、「あーこ、一番目の発表で、堂々としていて、とってもかっこよかったよ」というものだったから、すごくうれしかったこと。そんな心の経過が文に表れていました。
 私はすごーく、考えさせられました。
 式の当日の朝、あー子に一番目の発表だと聞かされていて、あー子ならそういうのに立候補するというのが、合点がいったし、きっとやり遂げるだろうと思い込んでいたのです。あーこのゆれる不安な気持ちなんて、これっぽっちもわかっていなかった。
 あー子はいろんな挑戦をする子なんだと、勝手に決め付けて。でもそれはあー子がでたがりなんじゃなくて、あーこは、そういうことに挑戦する素敵な自分になりたくて、どきどきをのりこえて、挑戦しているのだということ、全然わかってやれてなかった。
 あー子はもうすぐ十一歳。大きくなってきたからこそ、ゆれる気持ち、親や周りの人からの何気ない言葉で、傷ついたり悩んだりする時期になってしまった。ミーノもそんな片鱗を見せている。なーきやれーれもいずれそうなっていくでしょう。
 今回は私はどうやらあー子に届く言葉が言えていたらしい。でも私の気がつかないところで、どれだけ子供たちを傷つけたりしているんだろう?
 親が子供にしてあげられることは、どんどん少なくなってしまう。でも、私はいつでもどんなときでも、子供たちの味方だし、そばにいるからねと伝えていってあげたいな。