2014佐渡国際トライアスロン参戦記

・ロングに再挑戦する意味
 
一昨年に佐渡Aタイプを完走して、10月の岐阜国体の成年女子の補欠で岐阜に行って以来、すっかりトライアスロンから遠ざかっていた私。
 ロングを完走できたら、エクステラに挑戦しようと思っていたこと、佐渡に向けての練習があまりに大変で、家族にも犠牲をしていのことだったので、そのペースでの練習を続けるのは無理だったこと、国体に連れて行っていただいて、トップレベルの戦いをみれて、私には無理だと思ったこと
これらのことから、もうトライアスロンはしないだろうと思っていた。
 去年エクステラにでて、世界戦のスロットもゲットできて、私の目指すものはこれだ!と思ったし、諸事情で世界戦いけなかったけど、今年もエクステラ、世界戦まで視野に入れてがんばって行きたいと思っていた。
が、まさかのエクステラジャパンが開催されないとの知らせ…
 だったら、もう一回だけロングに挑戦してみようと。
一昨年みたいに、何もかも犠牲にして挑むのではなくて、日常生活に支障のない範囲で、故障もしないようにして、どこまでやれるのか?そんな風にして挑戦してみて、完走できないのなら、私にトライアスロンは無理だということだから、最後の挑戦のつもりでやってみようとエントリー。

.練習は一昨年の3分の一以下…
 
 今年の初めのターゲットレースとして、銀河100キロマラソンがあったので、ロングランの練習はそこそこできていた。が、ウルトラマラソン終わったら、ロードランの練習は皆無に等しく、もっぱらトレランに…
 でもランはなんとかなるかな?と甘い見通し。
 スイムも週に3日以上、一回当たり3000〜4000泳いでいた一昨年からは激減。通っていたジムもやめたこともあって、二週間にいっぺん、2000〜3000泳げばいい方…ウェット着ての練習は、お盆に家族で海水浴に行ったときの一回と、大会3日前に長水路で、リハーサル練習1.9×2を泳いだっきり。
それでも、36分、38分かかりながらも、何とか完泳できたから、よーし。
 問題はバイク。
ロードはほぼ一年半乗ってないっていうか、触ってない。
6月の銀河終わってから、ようやくひっぱりだしてきたけど、やまめの学校でおそわったこと、すっかり忘れて、全然乗れず。お尻も痛くなるし、足の小指の方は痛くなるし、とにかくいろんなところが痛くなって、とてもロングの練習できるところでない。ポジション変えようにも、何をどー変えたら何が改善するのかもわからないから、いじれない…痛くなると思うと、乗る気にもならなくて…という悪循環…一ヶ月辺りなんて、100も乗ってなかったと思う。もう無理だって、あきらめてた。そんなとき、FBで仙台のMさんにぺだリングを教えてあげると声をかけてもらった。Mさんはぺだリングだけじゃなくて、自転車のメンテナンスのことから、自転車乗りの基本みたいなことを本当に丁寧に優しく教えてくださった。
それで、少しは自転車に向う気持ちがでてきたんだけど、やっぱりおまたが痛くなるのはあいかわらずで…痛いのはつらいんだよねぇ…サドルを変えればいいのかもしれないけど、我が家にはそんな余裕はないし…乗り方も、Mさんの乗り方は3年前にやまめで教わったこととは全然違う感じがするしー…とまたもや迷宮いりしてた。大会の10日前でもそんな感じで、バウアにも「佐渡に行くこと自体やめてしまおうか…、確実に完走できないと思うし…」と完全後ろ向き。
 バウアは「佐渡には観光旅行に行こうよ。俺はもう一回佐渡にいけるの、楽しみにしてるよ。完走できるかどうかは、二の次じゃないの?」と言ってくれた。さらに、大会一週間前の土曜の夜。「やまめの学校のたかぎ先生に会ってきたよ。明日も寒河江でロードのやまめの学校するんだって。先生も来れたら、来ていいよって言ってくれてるから、受講してみたら?」と。
私は、一週間前で何が変わるんだ?もう手遅れだよ。と思いながらも、日曜日にやまめの学校の生徒となったのです。
 受講してよかったぁ…迷いの霧がいっぺんに晴れた!
しっかりやまめのりできれば、そのポジションがとれるセッティングがつくれれば、遅いながらも完走できるかもしれない!たかぎ先生もわざわざパーツを長野から送ってくださって、それで組みあがったのは、大会4日前の夜。3日前にちらっと乗って、微調整して、なんか良さそうな気がするけど、なんてたって、今シーズン100キロ超とか全然乗ってなくて、大会でいきなり190だからね。乗れなくて当たり前。でも、皆さんの協力と思いをかみ締めて、佐渡でのライドを楽しんでこようと、前向きな気持ちになれて、いざ、出発。

・大会前日

 土曜日四時半出発です。新潟港までは車二台で行きます。正直自分で運転はきついですが、前日日帰り車で横浜出張で、23時に帰ってきたばうあも運転してるので、文句言えません。眠気覚ましに助手席にのせたレーレが思いのほか、しゃべってくれて、眠くならなかったし、普段じっくり話すこともないので、よい機会だったな。

 かなり早めに新潟港に到着。私の車は駐車場において、佐渡へはハイエース一台で向います。帰りはバイクでフェリーに乗ることになるので、今のうちにお土産を仕入れておきます。
 それにしても、真っ黒に日焼けして、やけに自信ありげな「変態さん」たちがうようよ。トライアスリートって、体も引き締まっていて、すっごくかっこいいのに、ちょっと引いてしまうのは、なんでなんだろう?笑
って、自分のことは棚にあげときますよー。今回完走できたら、「変態」扱いしていいからね。笑
行きも帰りも、新造船のときわ丸。大きくて、あたらしくて、かっこいい。

こどもたちとバウアは甲板でかもめと遊んだりしてたみたいだけど、私はひたすら寝る…

 前回は縁あって、古民家に止めさせていただいたけれど、今回はメイン会場の近くのキャンプ場でキャンプ。
今シーズン、キャンプは初めてだから、子ども達もうれしそー。かい出し終わって、テントを張ったら、早速目の前の海で戯れとる

 私は選手登録と競技説明を受けねば。
 競技説明の前の、地元の郷土演芸保存部の高校生達の踊りをみていたら、佐渡に帰ってきた実感がふつふつわいてきて、そのすばらしいパフォーマンスとともに泣いてしまった。今からこんなんじゃ、明日はどーなるんだろ?笑
 夕ご飯は近くのスーパーで買ったパックすし。笑。たくさん食べときたいけど、意外と入らない。結構緊張しているらしい…

夏の名残の花火をして、みんなはトランプとかしてたけど、私は耳栓して、8時には就寝。

・大会当日

 日曜日の朝、三時半おき。けっこうしっかり寝れたので、コンディションはまずまず。周りのキャンパーもトラの人なので、みんながさごそおきてます。
 お湯だけ沸かして、カップ味噌汁と納豆巻きで朝食。もっと食べなきゃとおもうけど、やっぱり食べれない。この段階では、レース中、まめに補給すれば大丈夫だと思っていたんだけど。
子ども達はねてるなか、一人で荷物背負って、スタート会場へ。
 赤いコンプレッションウェアもどきをきてるのは、首のところ、ウェットスーツですれて、ずるむけになるからです。ワセリンぬったり、絆創膏はったりしてみたけど、これが一番いいみたい。スイム終わったら脱いで、サイクルジャージに着替える予定。

・スイム
 500メートルと離れてないので、あっという間に会場に到着。バイクと荷物をセットして、ボディマーキングしてもらう。右足首にタグをまいてたら、自転車のところに戻って、補給食とか、必要なものの最終チェック。最後におまじないのべスパとジェルを投入して、ウェット気ながら、入水チェックへ。
 入水チェック終わった選手達は次々アップしに海に入ってるけど、体が冷えるから、私ははいりませーん。笑。スタート前に疲れるのやだしー。笑
で、いつものごとく、一人でうぇっと着れないと。女性の方にてつだってもらうも「あのー、ファスナーあがんないんですけどぅ…」すみません、それは私が太ったからです。泣。なんとかファスナーあげてもらうと、もう苦しいので、早くスタートしたいですぅ…
 スタート位置の目安に「60分」「70分」「75分以上」ってあるんだけど、ほとんどの人が「75分以上」だから、意味あんのかなぁ…?
本当は80分くらいだけど、なんとなく「75分以上」のちょっと前にならんでみた。既に半分よりは前の陣取り。
 で、カウントダウンとかもあるんだけど、唐突にスタート。今年は参加人数がぐっと増えたので、すごいバトル。もうごちゃごちゃ。頭たたかれる。肩つかまれる。足押さえられる…二回くらい、本気で沈められて、本当に死ぬと思った…
ただし、集団で泳ぐと、流れがあって、速い。楽と言えば楽。でも、ずっとバトル。ロープ脇をとったはずだけど、近くのブイは人で見えないから、ずっとヘッドアップで、ターンのための大きいブイを目指して泳ぐ。気持ちで負けるとしずめられるから、バタ足、がんがんやって、当たり負けしないようにって。
 一周目は、ほとんどずっとバトルの中。二周目にはいって、第一ブイまでは、少し、余裕が出来てきて、自分の泳ぎを取り戻せたけど、第一ブイ回ったら、またバトル…沢山海水も飲んじゃうし、本当にあちこち当たって痛いけど、ここであきらめたら、私の唯一の見せ所がなくなっちゃうと思って、バトルに負けずに泳ぐ。
やっとスイムアップ。
なんか、私、速くない?バイクのところに戻ったら、まだまだ沢山のバイクがあるじゃないの。

 ウェット脱いで、座って靴下とバイクシューズをはき、赤いピタTを脱いで、サイクルジャージをきて、ゼッケンベルト[前々日にざっくり手作りしたのね。]をつける。メットをかぶって、サングラスと手袋つけて…ジェルを一本入れたら、バイクおして、走る。
忘れ物はないな?
今日の私は調子いい!はず。
 ラインを超えたら、乗車しまっせ。

・涙のバイクパート


おっ、バウアと子ども達が見えた。うれしい。
いってきまーす。

 ちゃんとおじぎのり、できてますかぁ?

 最初だけ、上体突っ込みすぎて、股関節の前側が痛くなったものの、姿勢を修正したら、よくなった。
 10キロ位したら、右足がみょーに動く
あっ、クリートが靴から外れてる…
前も一回やってるんだなぁ、ツーリングのとき。幸い、そのときと違って、ねじをなくしてないから、ペダルから外せれば、またつけられそーだけど、自分じゃむりかも?20キロのエイドにメカサービスもあったはずなので、そこでたすけてもらうことにした。
エイドにかけこんで、「すいませーん、メカニックサービスどこですかぁ」と叫ぶと、おじい様たち三人くらい「なにしたぁ?」と集まってくれた。クリートが外れてしまったこと、外れてしまったクリートがペダルから外せないことを説明したら、「後はやっておくから、トイレとか、補給とかしなさい」とありがたーいお言葉。甘えさせてもらって、トイレとおにぎりとかをたべに。相川栄ASのおにぎりは、のりがついていて、具もはいっていて、しかも一個ずつラップにつつまれていて、すごく助かった。一つ食べて、一つはもらっていく。一生懸命食べてたら、ケーブルテレビ?の人にインタビューされた。おにぎり飲み込むのに、必死だったんで、まともの応えられなかったよー。
補給終えてバイクにもどってみると、クリートが外されて、かりどめしておいてくれてた。ありがたい。自分で位置を調整して、止めたら、「また外れると悪いから」って、締めなおしてくれた。本当にたすかった。お礼をいって、またバイクパートに戻る。ここでのロスは10分くらいかな?ロスとは言えないな。ビンディング使えない状態では190キロ走りきれなかったと思うし、ここでも沢山の人に助けてもらって、元気ももらって、残りも楽しく乗っていくよ。

 おっ、調子いいんじゃね?
最初の100キロくらいまでアベレージ30近くでいけてる!
日も高くなってきたけど、風を感じられて、暑さは感じない。

って、調子こいたのが、悪かった。ちゃんと補給すること、エイドでかけ水することをおろそかにしちゃった…
気がついたときには、軽く頭いたーい、気もつわるーい。これ、熱中症の症状。
体に力がはいらなーい、ねむーい、目を開けてるのがつらーい。これ、ハンガーノックの症状。
絶対的にカロリーが足りなくて、補給しないといけないのに、気持ち悪くて固形物はとれなくなっちゃった。ボトルに用意しておいたカーボショッツ、BCAAグルタミン酸入りを少しずついれていくしかない…おなかが減りすぎても気持ち悪いから固形物も入れたいれど、おにぎりは入らず、バナナを半分だけ…
でも、この状況は必ず改善される。悪い状態のままでないっ!と信じられたし、バウアのアドバイスでステムに貼り付けた、エイドまでの距離と制限時間を見て、勇気づけられる。

「まだ、脚きりにあうまで一時間の猶予がある。私は必ずバイクパートは完走できる!」
向かい風と、熱中症ハンガーノックに苦しめられたけど、ポジティブシンキングと佐渡の素晴らしい景色と応援とに励まされて、なんとか進む。
小木の坂で初めてインナーに落として、なんとか登ると、後はバイクパートの終わりが見えてくる。
残り25キロ
寒河江の畑までと同じだよね。じゃあ大丈夫」
残り20キロ
「いつもの西蔵王のコースと同じだ。到着したも同然」
なんて感じに自分を鼓舞しながら、終わりつつあるバイクパートを楽しんだ。熱中症はのこっているものの、ハンガーノックからは脱してきて、少しペースもあがってきたよ。ランナーが見えてきて、終わりが近いことを実感する。佐和だの商店街を通ると、あと少し。
一昨年より37分も遅いバイクラップだけど、ダメージ少なくランパートにはいれる。あんな練習量で190キロ走りきれたことに感激っ!

・ランパート

 バイクラックにバイクをかけて、シューズをランシューズに履き替える。ガーミンの電源をいれて、べスパとツーラン、ジェルを補給。サングラスと手袋ははずし、キャップをかぶったら、ランパートの始まり。
 一昨年は走り始められるまでに一キロくらいは歩いたけど、今回はほとんどすぐに走り始められた。
おっ、調子いいんじゃないの?飛ばしているつもりはないのに、キロ6分ペーすで最初の5キロ地点エイドまで。ここで、食べられるなら少し固形物を取りたいと、バナナを食べたのがわるかったのか?そもそもとばしすぎたのか?猛烈に右の腹筋、おへその脇辺りが痛くなってきた。
たちまちペースはキロ7分から7分半に落ちる。5キロまでに抜かしていった人たちから、がんがん抜かされていく…
でもここでも「このおなかの痛さは、絶対にどこかで終わる。必ずまたしっかり走れるようになるから、それまで辛抱」と思えた。きっと、100きろマラソンでの経験が力になったんだと思う。痛さも辛さも続かないということ。それを信じられたから、次のエイドまでは歩かない!そう決めて、ゆっくりでも走る。
エイドはほぼ3キロごとにあるから、キロ7分でも約20分がんばれば、次のエイドにたどり着ける。ゴールまで、ずう〜っと走りなさいって、言われれば無理だけど、この20分だけならがんばれる。その繰り返し。
マメにトイレに行ったりしてるから、エイドでの滞在時間は長くなってしまうんだけど、エイドとエイドの間は歩かない。これが私の意地。
幸いなことに、今回はおなかの他は痛くない。足の裏も、足首も、膝も股関節も腰も、痛くない。走り方は悪くないはず。あきらめないでがんばろう。
だんだん日がくれていって、ぽっかりと大きなお月様が見えてきた。
「あぁ、いい月だ。今頃バウアたちも新潟港について、この月を見てるんだろうか?」と思いながら走る。
佐渡の夜は暗い。街灯がないので、本当に暗くて足元がみえないので、宇宙遊泳しているような気分になる。
ランパートには二箇所の折り返し地点がある。その二箇所目の潟上AS25キロ地点で、ランパートに入ってから4回目のトイレ休憩。トイレがね、ビブパンツだったからすっごく大変だったのだけれど…泣…
で、そのトイレで、出たの!笑
その後、おなか痛いのから完全復活。
足は全然痛くなかったから、キロ6分半、キロ6分と徐々にペースがもどってきたぁ。
今まで抜かれまくりだった人たちをごぼう抜き。
残り20キロって、いつもの西蔵王コースだよ。いけるよ。
とあげあげなき分で走っていく。キロ5分45。
商店街が見えてきて、名前もコールしてもらって、ラストスパート。
応援の人たちの「ナイスラン」の掛け声がうれしい。
ゴールゲート前でも一人抜いて、ゴール。うれしくて、ガッツポーズ

今回は誰もごーるで待っていてはくれなかったけれど、前々から応援してくれるみんながゴールで待ってくれてる、きっと私がゴールすることを喜んでくれてるって思えたから、最後の最後までがんばれたし、楽しめた。
辛かったけど、今までで一番楽しめた大会だった気がする。

・レースの後

 ゴールしたけど、まだ気が抜けない。一人で荷物を背負って、宿まで自走で行かなきゃなんない…泣。
トランジッションエリアは携帯禁止だから、荷物まとめて退出したあとで、バウアに完走の報告を。バウアたちもちょうどアパートについたとこというので、ほっと一息。私は8キロをゆっくり走る。意外と走れるし、気持ちいい。ゴールに帰ってくるランナー達とすれ違うから、知り合いを見つけたら、声をかけたりして、レースの雰囲気を楽しみながら…
 旅館に無事ついて、まずは夕食。
 おなか減ってるし、おいしそーなんだけど、揚げ物は無理。うなぎの柳川風も食べれなかった。お刺身と味噌汁と、枝豆豆腐と、煮物とかをなんとか入れて、ご馳走様でした。卵とじうどんとかだとすごくうれしかったんだけどなぁ…
 あと、お風呂に入ったら、どろのように寝るだけ…
 で、次の日。用もないのに、勝手に3時半に目がさめたりしたけど、二度ねして、6時半起床。状態は思ったほど悪くない。アキレス腱が痛くて、ちょっと足をひきずっちゃうけど、前の時ほどの筋ダメージはないみたい。
朝ごはんも普通に食べれた。
 で、今回の旅の一番の難関、旅館から両津港まで約20キロライド。
荷物がめちゃめちゃ重い。肩に食い込む。宿の人に一番起伏の少ない道をたずねたら、ランコースのところを通る道だった…結構アップダウンあるんでけどぅ…泣
でも、自分が昨日走った道をたどれるのは感慨深い。結構な坂道で、よく走れたなって思える。
荷物がとにかく重くて、もう肩も腕も限界っ!
ておもったあたりに、両津港に到着。助かったぁ。荷物と自転車をフェリー乗り場において、ちょっと早めの昼食。

トライアスロン丼。1500円なーり。あら汁がお代わり自由で三杯も食べちゃった。ここで、山形のトライアスロンの方々と合流。みなさん無事完走できたそうで、よかった、よかった。新潟からの帰り道、高速乗るまで不安だったので、先導していただく約束もとりつけて、一安心。
帰りもときわ丸でっせぇ。

自転車ごと乗船して、自転車を車置き場に預けたら、二等船室へ。船の中はフィニッシャーポロシャツ着た人でいっぱい。笑

船の中では2時間爆睡で…

新潟港から3時間半のドライブ、先導していただいたおかげで、迷わずにかえってこれて、無事帰宅。で、バウアが一言。「お疲れ様。これで、今度から一人でいけるね。」
…泣。

以上が私の2014佐渡参戦記です。
応援してくださった、たすけてくださった多くの方たちへ、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、なんとか完走できました。自転車でつらいとき、一緒に練習してくれた仙台のOさん夫婦、ぺだリング指導してくれたMさん、やまめの学校のたかぎせんせいの顔が浮かんできた。応援に応えたいと思った。
ランでつらいとき、ラン仲間のSさん、Tさん、まりごんさん、とか沢山の人たちのエールが聞こえてきた。そしてもちろん家族。
本当にありがとう。これからもドタコは何かの挑戦をしつづけます。自分にも周りにも無理のない範囲で。今回のことで、その範囲でも充分に「挑戦」であるとはっきりわかったから。これからも応援、よろしくおねがいします。

それから、今回の大会で気づいたこと。それは、一昨年のレースから比べると随分地元の方々の応援が少なくなってしまっていたということです。
バイクコースでも、ランコースでも、半分かそれ以下くらいに…
いろんな事情があるとは思うんだけど、一つの要因には私たち選手のガワにあるのかなぁと考えたりしました。
特にバイクの時には、応援に応えてる選手は少なくて…
手前味噌になっちゃうけど、私は遅いけど、声援にはなるべく応えるようにしてます。「はいっ」とか「ありがとう」とか声を出せるときはだすし、出来ないときは手をふったり、それもできないときは、目をあわせて、会釈したりね。そうすると、応援の人もまたテンションあがって…ってすごくうれしくなる。
でも、残念ながら、私の周りの選手達からはリアクションはほとんどみられなかった…もくもくがんばることがトライアスロンの魅力でもあるのかもしれないけど、地元の人たちにうけいれられない大会ってどうなの?って思います。
それにごみ問題。コース上に沢山のごみ…わざとじゃないにしても、ひどいなぁって。
定員が増えて、質が下がった。とか言われたくないよね。

ちょっと苦言。

来年は無理だけど、またロングに行っちゃうんだろうなぁ…私。笑

[日記][スポーツ]笹雁新道から北雁戸山、初冬トレッキング
 今日は久しぶりのお日様が。今日一日だけ天気がよくて、明日からはまた寒くなるらしい…貴重な晴れの日をどう過ごそうか悩んだ挙句、先週いけなかった笹雁新道からの雁戸山へ行ってみることにした。
 初めてのルートで単独行は怖いんだけど、エジプ人さんに登山口のこととか聞いたから、大丈夫っしょ。ということで、まずは笹やトンネルを抜けて、宮城県側へ。
 一の湯のちょっとさきに林道の入り口があって、ぐいぐいのぼっていくと。そこが登山口。車が一台もないなぁ…もしや誰もいないのか?なんとなく不安だけど、登ってみよう。
 先日のエジプ人さんのブログのとおり、最初は落ち葉サクサクトレイル。自転車で来ればよかった…
 お日様もあたって、ぬくぬくトレッキング。快調です。
 途中から、霜柱ゾーン。

 これが楽しい。やみつきになりそう。霜柱をシャクシャク踏みながらのぼっていくと、こんな景色が眼下にひろがって

 あぁ、けーたいだとうまくこの感動がとれないな。とにかく、きてよかった。
 稜線近くは雪と霧氷の世界


 といっても、登山靴で登れないレベルではない。雪と氷が光にきらめいて、別天地。
登ること二時間弱、目の前に雁戸山

 最後の急登はこんな感じ。

 ここくらいはアイゼンあった方がよかったかな? で、

 この全能感。途中、誰にも会わなくて、生き物の気配すらしなくて、怖いと思ったけど。たぶん、この山々に私一人だけ。なんかすごい。
 でも、やっぱり怖いからとっとと帰ろう。
帰りは簡易アイゼンをつけてね。
山頂からくだって、上り返しのところで、こんなもの発見。

ぶなかのか。採ろうとしたら、凍ってた[笑]
 登り二時間ちょっと。下り1時間ちょっと、計3時間23分で帰ってきた[地図には往復5時間半って書いてあった]
 まじで面白かったし、まじで怖かった。来春はMTBでいくぞ、おー
 

岐阜国体を終えて

 みなさんの応援を得まして、岐阜国体トライアスロン競技、山形代表予備選手として、岐阜に行ってまいりました。
 金曜日朝に仙台空港から中部国際空港まで飛びまして、セントレアからはレンタカーで、まずは競技会場の下見。それからそこから25キロほど離れた愛知一宮の宿舎へ。
 仙台空港で、正選手の小林恵さんと顔合わせをしまして、写真をとらせてもらったり、ほとんど一ファン状態です。アイアンマン常連で、今年も国体の一週間後にコナを控えている小林さんは、私からしたら、恐れ多い存在です。でも飾らない、笑顔の素敵な、本当に感じのよい方です。

2012佐渡国際トライアスロン大会 レース当日

 びっくりするくらいぐっすり眠れた佐渡での一日目。
 朝というにはまだまだ早い3時15分に自然と目が覚めました。目覚ましをかけていたのは3時半。目覚ましを鳴らさずにとめて、部屋の電気はつけずに、流しの方で、まずは餅をゆでるためのお湯を沸かします。レースの朝は納豆餅、これに限ります。もち7個。若干胃もたれしますが、これぐらい食べておかないと、もちません。
 しっかり日焼け止めと化粧をして、ウェア着て、ボトルや補給食の準備。捻挫している右足はキネシオテープで固定をして…
なんだかんだで、5時ちょっと前。まだまだねむそうな子供達をたたき起こして、会場にGO
満月が私達を送り出してくれました。長い一日になりそうです。
 会場近くで下ろしてもらって、お別れです。今年も子供達は私のスタートなどは見ずに釣りに向かいます〔笑〕頼むから、今年くらいはゴールで待っていてくれよ。
 会場についたら、バイクをセットして、ボディマーキング。油性ペンでかかれるのが嫌で、わざわざバイク用の長袖ジャージをきていったんですが、逃れられませんでした。
 ウェア類のセッティングや、最後の気合入れのスーパーバーム、エネルギーゼリーを入れたら、特にすることはないので、スタート30分前、入水チェックに入りました。
 まだうっすらと暗さが残っている佐渡の海の水は、思ったよりも温かい。水温が28度もあるそうで。こりゃウェットきてマジ泳ぎしたら暑いよね、と思いながら、いつもは絶対しないウォーミングアップなどもやってみる。見渡す限り穏やかな海で、波が高かった去年よりは楽かな?と思いながら、一回岸にあがります。
去年も今年も知り合いがいなくて、すごく不安でした。去年はこの場にいること自体が、場違いな気がして、身の置き場もなかったけど、今年は不安は不安だけど、この日のために練習してきて、それがどのくらい通用するのか見てみたい気持ちの方が勝ってたかな?自分がどこまでいけるのかを見てみたい、というわくわく感のほうが強いくらい。
スタートしたら、やれるだけのことをやるだけなんだもん。
 6時。スタート。遠浅なので、しばらくは歩いて、周りの流れに沿いながらスイムへ。覚悟はしてたけど、ずっとバトルです。頭をがんがんたたかれるのも、足をさんざん触られるのも、めげずに泳ぎます。スイムで立てた作戦は、「とにかく消耗しないこと、自分のペースを守る」です。がんがん抜かされるけど、気にせず自分の泳ぎ、自分のペースをまもって、余裕をもってバイクにつなげる作戦です。それにしてもバトルは途切れません。
さすがはAタイプ。みんないいペースで泳ぎますね。沖の方では波にももまれてしまって、四苦八苦。平泳ぎをして、方向を確認しなくちゃいけないくらい。おじさんから、肩をつかまれたり、足をひっぱられたりしたときには、かなりプッツンきましたが、報復はせずに、とにかく自分のぺーす。くらげもいるらしく、首やら顔やら、ときどきチクチクします。
今年から1.9キロを二周回になって、いったん上陸できるのはうれしいのですが、その分ばらけなくて、ずっとバトルのまんまです。精神的にきついなぁ…何回やっても、この人を押しのけてまで、という感じになじめません。
 でも、心配してた肩の痛みもきにならずに、無事完泳。浜に上がったとき、日本選手権の選手紹介をしてたから、7時30分近いのかな?予想より遅れたみたいです。
 バイクのところまで走っていって、ウェアを着替え、スーパーヴァームとエネルギーゼリーを注入したら、バイクスタート。
 一番苦手なバイクパート。ここでのタイムが完走できるかどうかの鍵になります。
 T師匠からのアドバイス。登りでがんばらない。下りと平地が踏む。出力一定が消耗しない走り方。
 一週間前の大江の大会でも、堂城先生が「レースで一番やってはいけないこと、それはのぼりをがんばりすぎて、下りで足を止めてしまうこと。すなわちインターバルトレーニングですね。」と。
 両師匠の教えどおり、マイペースで登り、下りをがんばりました。登りは抜かれまくります。焦る気持ちをおさえつつ、補給ゾーンと割り切り、用意していたジェルやジェルブラスト、梅干なんかをとりながら、ゆっくり上ります。

心配していたZ坂も、蛇行しなきゃいけないほどではなくて、結構いいペースが保ててます。練習では21キロもでなかったのが、27から8くらいでてるみたい。
それにしても暑い。スタートして間もなくから、ずっと頭が痛い。水分補給とボトルの水を首筋にかけて、なんとかしのいでいるけど、厳しいなぁ…暑さとの戦いだ。
はじめて周る大佐渡のコースは見事な景色。海の色のきれいなこと。こんなところを走れるなんて、幸せ者だ。
去年と違って、家族も赤泊付近でと小木の坂の二箇所で応援してくれて、力倍増。後半になるにつれスピードは落ちちゃったけど、それでも25は保ってる。これなら行ける。余裕をもってランにいけると思った、小木の坂からのラスト30キロ。強烈なアゲンストに阻まれて、進めない。酷使してきた臀筋と腸腰筋が痛くなってきたぞ〔泣〕
最後はランに向けて少し抜いていきたかったんだけど、向かい風に立ち向かうには、そうもいってられなくてパワーでバイクフィニッシュ。ガーミンによると7時間30分くらい。予想より1時間近く早い時間。
16時半の関門に引っかからないのが目標だったから15時くらいでランにうつれるのは予想外。
もっと日が落ちてからランにうつると思って、ラン用のウェアは半そでのサイクルジャージにレースナンバーを前につけて用意をしていた。でも、まだまだ日差しがきつく暑かったので、バイクの時の長袖ジャージのまま走りたいと思って、ラン用のウェアには着替えずに、レースナンバーも付け替えることなく、前にレースナンバーのないまま走り出した。
これが、そもそもの間違い。
走り出してすぐは、バイクの体勢で固まっていた体がなかなかほぐれずに、ペースも上がらなかったけど、一キロも走れば、キロ6分ペースで走ることが出来た。メイン会場付近は一番応援も多いし、家の前でシァワーをしてくれてる人とかも結構いて、暑いながらもなんとかペースを保てて走れてる。
「この調子で走れれば、5時間かかんないではしれそうだから、ゴールタイムは14時間切れるかもしんないなぁ…ということは、もしかして、もしかして、世界選手権参加の権利がえられるかもしんないのか?この私が、JAPANしょって走れるのかも?」なんて、捕らぬたぬきの皮算用をしてたのも悪かったんだね。
 3.5キロ付近の最初のエイドに来たとき、進む方向がわかんなくなって、ちょっとうろちょろしてたら、「こっちです。このままこの道渡ってください」と誘導されたのです。
わかんないので、誘導されたとおりの道は、今まで走ってきたのと逆方向への道。ゴールに向かう人の流れに入ってしまいました。
応援の人からは「お帰りなさい」とか「ゴールまであとすこしだからね」なんても言われるし、あきらかにおかしいので、スタッフのTシャツを着ている人、5〜6人に、「私はAタイプで、走り始めて30分もたってないんですけど、本当にこっちにはしっていいんですか?」というようなことを、聞いていったわけです。でも、どの人も「このまままっすぐ行けばいいですよ」的なことを言うし…でも、どんどんゴールに近づいていって、とうとう最初の商店街にまでもどってきてしまって…ようやく審判員のひと発見。事情を話したら、「それは違います。戻らないと」
がーん。やっぱりそうだよね。違うよね。おかしいと思って、ずっっと聞いてたのに、誰も教えてくれなかったジャン。
ここまできて、もどれってか?
もうやめよう。リタイヤでもいいや、ゴールしてしまおう…と一瞬頭の中をよぎって…
いや、間に合う。これからスタートしても、制限時間には間に合うはずだ。間に合わせてみせる。
と、また同じ道を今度は間違えないように、走り出したのです。
でも頭の中はぐちゃぐちゃ。うらみつらみでいっぱい。「くっそー。だから何回も聞いたじゃん」誰に向けていいか分からない怒りでいっぱい。
体の疲労もひどく感じられて、つらい。
競技規定どおりに、前にゼッケンをつけていない私が悪いし、コースの概略くらいは把握してなきゃいけない。誰がわるいんでもない、自分が悪いんだ。このままおもしろくない思いで、佐渡での時間を過ごすのか、自分が悪かったんだと割り切って、とにかくゴール目指してベストを尽くすのか?お前はどっちを選ぶんだ?
と、自問自答。ミスコースをしたエイドまで戻ってきたときには、ゴール目指してベストを尽くす、という自分に切り替えられて、ここから再スタート。たかだか6キロ多く走っただけで、つぶれるような練習してないだろっと自分に発破をかけて、また淡々と走れました。
 足はどんどん重くなっていきます。日差しは大分柔らいできましたが、それでも暑い。エイドの度にたちどまり、頭から水をかけてもらい、コーラを飲んで、また走り出す。その繰り返し。周りの人はけっこう歩いている人が多い。私も止まりたくなるけれど、「歩いたら負け、走れるうちは走る。走れなくなったら、歩く。歩けなくなったら、這ってでもゴールする。でも今はまだ大丈夫。走れる。」とエイド以外では、止まらず、歩かず、どんがめ走法〔私が尊敬しているアスリートでーす〕でとにかく粘る。捻挫している右足は、テーピングの甲斐あって、なんとかもっている。でも、右足裏の前側にずっと違和感が。「トランジットのとき、小石でも入っちゃったカナ?」と途中止まって、靴を脱いで見るも何もでては来ず。なんかまめっぽいけど、両足の親指の爪も完全につぶされてるね、でも走れなくないからいいや。とまた走り出す。
 夕日に向かって走り、夕日を背にして走り、25キロを過ぎる頃には、あたりはすっかり星空で、北斗七星が私をみまもってくれているようでした。
 もうペースはキロ7分以上にまで落ちて、エイドからエイドまでの間がすごく長く感じる。佐渡の夜は暗くって、街灯もあまりなくって、泣きたくなるほど心細い。もうガーミンのライトをつけてペースや時間を確認する元気もない。
 そんな究極な時、私は何を思っていたかというと、「子供がゴールで待ってるから、私が帰ってくるって信じて待っててくれてるから、走って帰るんだ」ということでした。自分で思っていた以上にお母さんだったんだなぁ、私は。
四人が生まれてきてくれたから、家族がいるから、私はこうやって走っていられるんだ。この場所に立てたんだ。家族のところに帰ろう、私の今の全速力で。
 今日何度目にかに通る商店街を抜けて、ゴールエリアに戻ってきたら、家族が待っていてくれました。

 直紀、蓮、稔と手をつないで四人でゴール。ゴールした先にはあい子とばうあが待っていてくれて…本当にうれしかった。

念願のロング完走です。
リザルトは
354位〔551人中〕14時間31分16秒
スイム 1時間24分58秒 216位
バイク 7時間40分07秒 427位
ラン  5時間26分11  385位
女子総合35位〔69人中〕 年代別8位〔17人中〕

ガーミンでは48.6キロ走ってました。少なくとも6キロはロスしたのでしょう。その6キロ。36分がなければ…と思う心もなくはないですが、ゴールできたから、全てよし。
もし次挑戦することがあれば、30分は短縮できる、ということですから。
ロング完走できれば、トライアスロンやめよっかなって思っていましたが、もっと速くなれるかも?と思うと、やっぱりもう一回ロング?と思わないでもありません。まして、世界戦がみえるかも?となれば。
自分がどこまで行けるのか、やっぱりもっと見てみたいと思うのです。普通の主婦がどこまでやれるのか?考えただけでもわくわくします。
 感謝はいくらしても足りないけれど、これまで私を応援してくださった皆さんに本当に感謝しています。ありがとうございました。まだまだ私の挑戦は続きますので、これからも応援よろしくおねがいします。
つたない文での、冗長なレースレポでごめんなさい。

 
 
 
 

2012佐渡国際トライアスロン大会 前日

 いよいよです。念願の初ロング挑戦です。
 去年は初ミドル挑戦で、がちがちに緊張していましたが、今年は意外な程に落ち着いています。相変わらず、体調ばっちりでレースに臨む…というわけには行かなくて、今年は10日前のトレランで右足首を捻挫してしまいました。アイシングとシップと酸素カプセル通いでなんとか…さらに大会当日にはテーピングで固めて…といった不始末でしたが、そんな状態でもレースが始まってしまえば、きっと走るであろう自分を信じられたので、やれるだけやる。行けるとこまで行く。完走できなかったら、また来年がんばる。と腹をくくれてましたね。

 佐渡に上陸して、まずは佐渡のうまい寿司だぁ、と回転寿司に向かいましたが、どこも1時間以上待ちの激混み。仕方がないので、スーパーで山形となんら変わりないようなパック寿司を買って、メイン会場で弁当開きになりました〔笑〕
 佐渡に出発する前日にばうあが注文してくれていたボトルが届いたので、レース前に一応試走して、使い勝手をチェックです。エイドでボトルごと受け取った水をのりながら自分のボトルに入れ替えることができちゃうという優れものです。
走りながら試してみましたが、なんとか私でも出来そう。
 そんなこんなしているうちに、開会式に時間近くだったので、海で遊んでいる子供達は回収せずに、私一人開会式会場に向かいました。
 選手登録を済ませると、無事にOさんにお会いできました。Oさんは私達がこの度とめさせていただくおうちに案内してくださる方で、山形のトライアスロン協会の強化部長Wさんのお知り合いです。そして昨年度の25から29歳エイジの部の優勝者。おぉ、後光が差してる。本人はいたって知的で謙虚な好青年、イケメンです。イケメンともお知り合いになれて、モチベーションアップ。
 開会式ではさまざまなご挨拶の後、招待選手、優待選手の紹介がありました。当然去年の女子の準優勝者、Kさんも壇上に。一応私は彼女の補欠選手なんですが、格の違いがまざまざと…制限時間内にゴールできるかも分からない私が、彼女の補欠でいいんだろうか?と上がったモチベーションは、下降へ。
 しかし、今回完走できなかったからといって、補欠選手を取り消されるわけじゃなし、ゴール目指してがんばるだけさ。と若干開き直りが入り、下がった気持ちを持ち直し。
 開会式の後、競技説明との間の時間に、歓迎レセプションとして、佐渡の高校生〔郷土文化研究部?〕の皆さんによる、佐渡の民謡や踊りの披露がありました。お囃子から、唄、舞踊にいたるまで、全部高校生がふるさとの土着の文化を継承しているのです。唄もお囃子も、踊りもすばらしい。なにより笑顔がすばらしい。こんな高校生がいるうちは日本も大丈夫だな!、そう思ったら、なんか涙が出てきました。花笠やってるあーこの姿も重なって見えて…
 いよいよ競技説明。まずは地元警察からの諸注意。交通ルールは守りましょうねと。はーい。
 続いて、JTUの人からの説明。何でもこの大会はロングディスタンスの世界選手権の選考会にもなってるそうで…
まっわたしにゃ関係ないな。とろくろく聞きもしなかったのですが、エリートクラスの選手だけでなくて、エイジの部門でも、年代別で何位だかに入って、なおかつトップ選手のゴールタイムの1.3倍以内でのゴールの選手。
一般の人でもJAPANをしょって世界戦にいけるんだぁ…すごいね。でも私にはかんけいないなぁ…
 最後に競技説明。去年との変更箇所もあり、ここはみっつら聞いておきましょう。予定より大幅に遅れて、会場を後にしました。
 近くのスーパーの駐車場でまっていた家族とも合流して、Oさんの案内で、佐渡での宿泊先へ。ちょっと山手の、でも会場まで車で10分程度の近さのところです。

 で、ついたところに待っていたのが、ランボルギーニ。うぁ、本物だ。
いごねり屋さんの早助屋の社長さんの別荘に泊めさせていただくんです。かなりの資産家らしく、ランボルギーニも所有していらっしゃると。子供達も私も大興奮。スーパーカーに乗れるなんて、一生のうちで一度あるかないかわかんないからね。せっかくなんで助手席に乗せてもらいましたよ。ちょっとぐるっと周ってもらっただけなんだけど、こわいのなんのって。へたなジェットコースターより怖いかも。これだけで佐渡に来た甲斐があるってもんだ。
 洋風のすてきな別荘の後ろに、囲炉裏端のある古民家もあって、私達はそちらに泊めさせてもらえると、ありがたいことです。

 これで夕ご飯を食べてらっしゃいと、申し出てくださったのですが、ただで泊めさせていただいた上に、ご馳走になるなんて、とんでもないと丁重にお断りをして、持ち込んだカセットコンロでスパゲッティをゆでて、手作りのミートソースをかけて、これが夕ご飯。しっかりたべてカーボローディングです。
 レースナンバーをつけたり、補給食の確認をしたりして、ちょっと予定より遅いけど9時半には就寝。ゆっくり寝れるかな?

国体?

 木曜日の夜に、山形のトライアスロン協会の方から電話があった。
 今年の岐阜国体のトライアスロンの予備選手にえらばられたとのこと。
 「国体?私が???」
 酒田の時、山形県選手権で二位になったかららしい。一位とは10分も差がある二位なのだ。
 「一位の方と随分差がありますけど、本当に私でいいんでしょうか?」
おずおずと尋ねると、要は補欠だし、なるべく多くの選手に国体の場を経験して欲しいとの意向があるらしい。
このチャンスを逃すと、一生「国体」なんてものに縁が無いと思うので、ありがたくひきうけさせてもらった。
 そうなると、練習のつもりでお気楽に参加しようと思っていた長井トライアスロンも、腑抜けた走りはできなくなってしまったなぁ…と緊張してきた。
 でもうれしいのもうれしいので、いままで一緒に練習してくれたり、応援してくれたりした皆さんに報告。
 みんな本当に喜んでくれたことが、またまたうれしかった。
 今回のことは山形のトライアスロン女子の層の薄さと、幸運が積み重なって、たまたま選ばれたということは、十分わかっている。自分が草レースで、運がよければ、年代別で入賞できるか、どうか? 程度の選手だということも、重々承知している。
でも、私は私一人の力で、大会に出れているわけではなのだ。一緒に練習してくれる師匠や練習仲間がいて、コーチがいて、メンテナンスしてくれている先生がいて、応援してくれる友達がいて、大会を運営してくれてるスタッフの方々がいて、もちろん支えてくれる家族がいて、なんとか続けていけている。
その人たちとともに、今回のことは素直に喜ぼう。そして、いつか国体選手〔だった〕の名にふさわしい選手になれるように、ひたすらに努力していこう。楽しむことと、感謝することを忘れずにね。

梅雨時の手仕事

 おばの畑の梅ノ木から、梅ジュース、梅酒用のうめをもいできました。
 ラッキョウも小粒でおいしそうなのがうっていたので、ついつい買ってしまいました。
 ささまきの発作がおさまったと思ったら〔今年は400個近く作りました。〕、今度はこれです。