やっと日記を書くことができました
バウアのブログにもあるとおり、六月25日に父が亡くなりました。
ずっと入院中で、ここ一ヶ月は経口摂取もできない状態で、覚悟ができていたし、六月25日は母の命日でもあるんです。なんか納得。亡くなった時間帯もほぼ一緒、第一発見者も私。なにもかもリンクしていて、とても偶然とは思えないです。
ここ最近の、骨と皮だけになってしまった父を見るのは、ほんとにしんどかった…本人が一番つらかったはず。
今はちちにとっても、これでよかったのかもしれないという思いと、喪主を務め上げた安堵感でいっぱいです。
新聞にも載せず、実家の近所の人にも知らせずの、身内だけのひっそりとしたお葬式。父のこれまでの功績を考えるとあまりに質素だったのかもしれませんが、これが私の限界です。優しい父だったから、これくらいのことは笑って許してくれるはず。
昨日、葬式を終え、今日、菩提寺にて3日参りと、初七日の法要を終えて、ほんとにほっとしています。
悲しみに浸る余裕はあまりありません。次は四十九日と納骨と百か日の法要の段取りです。
でも、これくらいでいいのかも?生活の折々で、両親を失ってしまった悲しみはあるのかもしれないけれど、それ以上に私や兄や子供たちの中に受け継がれている、父の、両親の面影を大事にしていくことのほうが強いです。
死んでしまった人を悲しむよりも、今生きている人が、幸せに暮らしていくほうが大事だと、母が死んで以来、ずっと身をもってしめしてくれていた父だから、私や私の家族が元気に明るく暮らしていくことを、一番望んでいるはず。
母のときは、突然のことで、ありがとうも言えなかったけど、父には育ててくれてありがとうって伝えられたのが、本当によかった。
父の介護で、悔いがないといえば嘘になるけど、そこそこやれるだけのことはできたとも思う。
とにかく明日からは通常モード。タフな体は父親ゆずりだから…