授業参観

 午後からあーこの授業参観。
「おかあさん、きてね」といわれていたが、とうちゃんのことがあったので、「もしかしたら、おばあちゃんにいってもらうかも・・・」なんて、答えていたのだが、ちゃんといけるようになって、よかった。あーこも喜んでくれた。〔授業参観にきてもらえて、うれしいなんていってもらえるのは、あと何年だろうねぇ?〕
 あーこのクラスは「きらきら発表会」グループを作って、自分たちが最近取り組んできたものの中で、披露したいものを自分たちで話し合って、決めて、発表するらしい。こま回しや、合奏、縄跳び、マット運動など。あーこのグループは「縄跳びとマット運動」。あー子は週末、筋肉痛になるくらい、縄跳びの練習をしていたらしい。
 あー子だけじゃなくて、クラスのみんながきらきらしてたな。恥ずかしいのはご愛嬌。でも入学当初からみると、ずいぶん成長してた。
 あーこのことだけじゃなくて、一緒に成長していくクラスの子どもたちのことも見れるようになったのは、私の親としての成長でしょうか?
それからもう一つ。子どもの成長とともに、私自身も成長させてもらっているとも思うのだけれど、同時に自分の子供時代の追体験をしているのだなと。あーこの発表をみていて、小学一年生の時の私はどんなだっただろうと。

 いろいろな経験をして、大変な思いも少しはしてきたけど、大人になった自分のことはかわいそうだとは、思わない。でも、子どもの時の自分のことは、かわいそうだと思ってしまう。子どものときの自分に今の私は言ってあげたい、「そんなにがんばんなくていいよ。そんなに一人で背負わなくてもいいんだよ。」「あなたが生まれてきたことで、ただ、生きていることだけで、周りの人を幸せにしてるんだよ」と。
 10才位にはもう、「自分は生まれてこないほうがよかったんだ、いないほうがいいんだ」と思ってた。そう思いつづけて、大人になったような気がする。もちろん、両親に愛されなかったわけでも、虐待を受けたわけでもないんだけど、強いて言えば、母が病弱な人だった。
「いつかあちゃんがいなくなってのしまうんだろう?」と不安定な中で生活してたのかな?
とにかく、自己肯定観がうまく育たなかったように思う。だから、「こんな自分が自分の子どもなんか?」とか「こんな母親でいいのか?」って、すごく思ったもの。そこをバウアにはげまされ、支えられ、なんとかやってこれた。そのやってこれたこととが自信となって、「こんな自分が生きていてもいいんだ」ってやっと思えるようになった。
 それでも自分の中の「子ども」はまだつらがっているんだよね。今でもたまーに顔を出す。子どもたちとしっかり接していく中で、自分の中の「子ども」のことも慰めてあげられるかも知れない。
 それからもっと大事なこと。子どもたちに、自分が思ってたようなつらい思いはさせないこと。これ、すごく大事。
でも、私にできんのかなぁ?