片思いの成仏 ささやかだけれど、確かなもの

 ネットで高校の時に片思いしてた人の顔写真を見ることができた。
高校の時の印象のまんま、とし食った感じだ。不思議となんの感情も湧かなかった。
 わりと開けっぴろげな私が、ごく親しい友人にも彼を好きだったことは話していないと思う。そのくらい彼が好きだった、憧れだったといってもいい。
卒業して会うこともなくなっても、どこかで彼にふさわしい「いい女」になりたいと思っていた。彼にはとても届かないとも。
 でも大人になってネット越しにみる彼は、確かに届かない存在ではあるのだが、レベルの優劣ではなく、「住む世界が違う」のだと思った。
彼と私では住む世界が違うのだ。

私の十七年越しの片おもいは、ようやく成仏した。

 同時に私の高校時代に対しての思いがやっと整理できたかな。
努力して、なんとか入学できたものの、なんか自分の居場所で無いような感じを抱いたまますごして、卒業して・・・・それぞれの道で活躍している先輩や同級生と比べるとただの専業主婦の私は、これもまたOBとしてふさわしくないって、後ろめたい感じすらしてた。私の誇れるものはなんなの?って。あせりのような、後悔のような、自分の能力の無さに対する絶望、そんなものすべてが無意味だとやっと理解できた、降りてきた感じがする。

 大事なのは今の私の世界。私がいて、同じ目線でくらしていけるバウアがいて、子どもたちがいて、家族がいて、友人がいて・・・・・毎日を流されるのではなくて、「紡いで」いくように積み上げていく暮らし。
 その暮らしを良くしていこうと努力している私のことは、誇れるのでないだろうか。
ささやかだけれど、確かなもの、それを言い換えれば、愛というのかもしれない。

 ごく最近まで、愛は与えてもらうものだと思っていた。バウアと結婚するときにも言ったと思う、「私を幸せにしてね」。
でも今、愛は与えるものだと思っている。私からあふれでて子どもたちやバウアに注ぐもの。
それに私に愛をくれる全てのものに、感謝できるようになった。
 「努力と感謝と笑顔」これが今の私のモットー。   実行するのは難しいんだけどね。
端的にいえば、宮沢賢治の「雨ニモマケズ
        イツモシズカニワラッテイル
        ソウイウモノニ 私ハナリタイ